プロフィール

小学生で踊りをはじめ、二度のスカウトを経て香川に移住。国内外でステージパフォーマンスを経験する。ダンスアカデミー時代、ジェームス三木・脚本/江守徹・演出のミュージカルに出演。江守氏に女形の才能を見出される。    

その後、独自の舞踊の世界観を構築する為に独立。プロダンサーとして活動しながら、経験を生かして、よさこいチームをプロデュース。振付・指導などを一手に引き受け、チームはこれまでに様々な受賞経験を誇る。また、振付師としても、洋舞、日舞ジャンルを問わず活躍し、他のよさこいチームからの、振付や煽り(あおり)の依頼も受け活動中。

2010年、よさこいチーム『白虎連』を結成。白虎連リーダーは多くのファンを魅了し、それと相反する男舞での勇壮な踊りと、煽りも大好評である。白虎連の踊りはその独自の世界観と美しさより『よさこい舞』と呼ばれ、祭、コンテスト等で複数受賞している。TAICHIwith白虎連は新時代のよさこいを踊る。

演出、衣装、振付、作曲、ボーカル全てリーダーである白藤太一が手がける。

白虎連はよさこい、ダンスレッスンをはじめ様々な角度から心技体の全てのバランスを整え最大限パフォーマンスできるように日々のレッスンを取り組んでおります。

白虎連の楽曲の中には水晶の楽器『crystal bowl』が収録されている。

よさこい楽曲、ダンス曲に合わせるのは世界的にも珍しい試みである。

一方で歌手としても才能を開花し、アマチュア時代はオリジナル楽曲「BLUE MOON」でベストシンガー賞で全国3位に入賞。また、カラオケボックスコンテストでも優勝し、全国大会に出場。自らも作詞・作曲を手掛けながら幅広いジャンルの歌を歌いこなす。

令和第一弾のシングルリリースでは、原文彦先生と三好和幸先生に曲を書き下ろしていただき、そのオリエンタルでリズミカルなサウンドは子供から高齢の方まで好評をいただいている。

テレビ朝日系列局『ダンシングキッチン』レギュラー出演

2021年7月18日 HITO(人•靈止•人間)Single Release

新潟県出身。

人見知りだった子供時代

 

僕は超未熟児で生まれた。

それにより心臓に欠陥がある。

子供の頃、人とは違う雰囲気にいじめを経験。

人と話すのが苦手だったんだ。

もう一つ人見知りな理由がある。

 

それは、みんなが見えないものが見える事。

そして、みんなの心も見えちゃうこと。

だから、子供の頃からの僕の癖は ”人間観察” 

ほとんどの人は自分に素直に生きれてなくて、その矛盾に苦しんでいる。

「もっと自分に正直になれば、もう少し楽に生きれるのになぁ…」

ずっとそんな風に考えてた。

僕を変えた踊り

小学生の頃、踊りを始めた。

音楽は大好きで、特に洋楽はずっと聴いていたし、スポーツは好きな方だったから

音楽に合わせて踊ることはとても楽しかったんだ。

自分の部屋一室を鏡ばりにかえて、まるでダンススタジオのようにした。

僕はもともと身体は固かったので、毎日ストレッチを行った。2時間位は欠かさずに!

小さい身体で毎日毎日ダンスの練習をやった

その結果踊り過ぎが原因で腰を痛め、ドクターストップがかかった。

”しばらく安静にしないと身体が動かなくなるぞ” って、

お医者様に注意された。

それ以降、身体の筋肉、構造を学ぶ。

トレーニングに力を入れる。

そして思い通りに動く体を手に入れた。

                  

踊りを踊れるようになった僕を、人は認めてくれるようになった。

そして、生きることが楽しくなった。

 

それまでは正直いつ死んでもいいと思ってた。

心臓は慢性的に痛いし、いじめられっ子だったし・・・

でも、踊るととても楽しい・・・。

だから、僕はトレーニングを欠かさない。

歌手になる夢

子供の頃の夢は ”歌手” になる事。

その夢は忘れかけていた。

           

            

でも本物の歌手の方達とミュージカルの舞台を経験させてもらった時、やっぱり歌いたいと思った。

そして、踊りの時と同じように、毎日練習練習・・・

それでやっと、今

のような歌える喉を手に入れた。

 

みんなに知ってほしい事

超未熟児で生まれた僕が持っていたものは、やせっぽっちで小さくて堅いからだと

常に痛い心臓と・・・

だから、頑張ればなりたい自分には近づけると思う。

それを知ったぼくだから、き

っと君を励ますことが出来ると信じてる。

 

僕は、生きている実感を得るために、今日も歌い、そして踊るんだ。